居貞親王(三条天皇)は娍子を信じたかったでしょうが、脳裏のどこかで、彼女は軽んじると何をしでかすかわからないという恐れを抱いても、おかしくはないでしょう。実際、突然死した時の原子にはすでに有力な後ろ盾がなく、兄二人(伊周・隆家)も没落している状態だったので、娍子にとって、そこまでして排斥すべき相手でもなかったはずなのです。しかし、娍子も有力な父も兄もいない女性で、原子同様に後ろ盾がいないからこそ、居貞親王の寵愛を奪う女は許しがたいという心理でしょうか。

 まぁ、これらはあくまで噂にすぎないのですが、そんな娍子が皇后宮になったとはいえ、ドラマで描かれたようにほとんどの公卿は儀式や祝宴に参加しようとしませんでした。

 この時、道長はどう振る舞っていたのでしょうか。

 ドラマのセリフにもありましたが、娍子のように大納言の娘にすぎない女性が皇后宮になった近年の例はないので、娍子の亡父・藤原済時に大臣の位を追贈させたいという三条天皇の意向に賛同するなど、道長は相当に妥協した態度を見せています。

 その一方で、多くの公卿たちには娍子が皇后宮になるための儀式に近寄ってはならないというお触れも出しています。「儀式に来てくれ」と伝える三条天皇からの使者に石を投げつけさせる公卿までいたとか(藤原実資『小右記』)。

 そういう道長の威光に逆らえない公卿たちの中で、実資(秋山竜次さん)と隆家が娍子の儀式に参加するだけでなく、それを取り計らうことになりました。あまりに欠席者が多いため、儀式は省略につぐ省略で終わってしまったようですが……。

 しかしこれがきっかけで、道長が重病になった際、それを喜ぶ公卿たちのリストに実資や隆家、そしてなぜか道長の異母兄・道綱(上地雄輔さん)などの名前が挙げられてしまったわけですね。

 さて、次回の内容についても少しお話しておきます。

 ドラマの公式サイトのあらすじによると、「三条天皇(木村達成)の暮らす内裏で度々火事が起こり、道長(柄本佑)は三条の政に対する天の怒りが原因だとして、譲位を迫る。しかし三条は頑として聞き入れず対立が深まる。その後、道長は三条のある異変を感じ取る」(原文ママ)。