源高雅は醍醐天皇の曾孫なので血筋はよろしいのですが(ちなみに、顕信の母・明子は醍醐天皇の孫)、政治的には没落し、現在は道長に仕える「使用人」にすぎません。道長は長男・頼通の正室には村上天皇の孫・具平親王の娘である隆姫女王(田中日奈子さん)を選んでいるので、ここにも顕信がライバル視していた異母兄との「格差」を感じてもおかしくはなかったのです。まぁ、でも「こんなこと」で出家してしまうような豆腐メンタルでは、弱肉強食の貴族社会を生き抜くことは難しく、遅かれ早かれ、顕信は出家せざるをえない繊細すぎる人物だったでしょうね。

 前回は三条天皇と道長の対立があからさまになる内容でもありました。

 しかし、道長の次女・妍子(倉沢杏菜さん)より、昔から寵愛が深い娍子(朝倉あきさん)への愛情を隠そうともしない三条天皇の策略に道長はハマった云々というドラマのナレーションは、史実的に見ると微妙です。おそらく道長は三条天皇を追い詰めるための次の手を見据えた上で、「妍子を中宮にするかわり、娍子を皇后宮にしたい」という天皇の願望を妥協して認めたのだろうと思われるからです。

 そもそも三条天皇が娍子との間に多くの子どもを設けていたからといって、特に有力な後ろ盾がいない娍子を皇后宮に祭り上げようとした理由は、純粋な愛情だけだったのか……というようなことも考えてしまうのですね。

 ドラマには登場しませんでしたが、藤原伊周・隆家兄弟(三浦翔平さん・竜星涼さん)には定子(高畑充希さん)以外に、存在感がある妹・原子がいました。長年、皇太子のまま据え置かれていた三条天皇――正確には居貞親王を支え、親王からも娍子同様に寵愛を受けていたとされる女性です。しかし、原子はある時、不穏な死を遂げたのでした。

 まだ花山天皇(本郷奏多さん)が在位中だった長保4年(1002年)8月、原子は「日頃悩み給(たまふ)とも聞かざりつるものを」――まだ20代前半(生年不詳)で、健康に不安があったとは見えないのに、突然「御鼻口より血あえさせ給て」――鼻と口から血を吹き出し、原子は亡くなったのです。この時、原子と居貞親王の寵愛争いを繰り広げていた娍子が、原子に毒を盛ったのではないか……という噂が貴族社会を駆け巡りました。