◆遊女たちの痛みを“ひとりの人間のもの”として理解するために

渡辺豪さん
――本展への批判として「買う側視点だ」との指摘も多く挙がっています。これについて渡辺さんは「買う側」ではなく「加害側」という視点が必要ではないかと発信していました。その点を最後に詳しく教えてもらえますか。

渡辺:これまでは、「売られた側」である遊女の視点と「買う側」である男性の視点に焦点が当てられることがほとんどでした。ですが、遊郭と遊女を取り巻く周辺情報はもっと複雑でした。遊郭相手に商売をしていた寝具店や雑貨屋さんなどがあって、ある種の加担・依存状態にありましたし、また、明治以降は遊女の稼ぎから納めた税によって街に病院などが建設されました。

つまり、遊女たちの“犠牲と貢献”による恩恵を受けていた人、間接的にも加害の立場にいた人はたくさんいたのです。ただし、ここで誤解されたくないのが、「みんなが加担していたのだから買っていた男だけの責任じゃない」という意味ではないということです。

――当時近隣で暮らしていた人々だって、必ずしも加害に加わっていると認識していたわけではないはずですもんね。きっと、無自覚に医療などの恩恵を受けていた人もいたでしょう。

渡辺:なので私は、“犠牲と貢献”という表現を使ってみました。貢献というのは、遊女として生きた女性たちの主体性を認めてあげたいという気持ちがあるからです。売られた身だとしても、ただ受身的に流されていただけではなくて、なんとか抗おうとして生きた人もいたでしょうから。私がもっとも伝えたいのは、遊女たちの痛みを自分と同じひとりの人間のものとして理解するためには、より広い視点で見ることが必要ではないか、ということなのです。