そもそもラバーガールは、ショートコントのコンビではない。どちらかといえば10分、15分の長尺コントを得手とし、単独ツアーを全通する固定ファンも少なくなかった。

 そんなラバーガールの転機となったのが、21年11月に始めたTikTokだった。といっても、本人たちが意図を持ってTikTokに進出したわけではない。TikTok上に違法アップロードされたテレビ番組でのコントが人気を集めていることを知り、試験的に自ら公式動画を公開し始めたのがきっかけだった。

 もともと「つかみが早い」ことに定評があったラバーガールのコントは、そのつかみ部分だけで盛大にバズった。若者の間で急速に知名度が高まり、それが本業であるテレビや営業の仕事量に反映されるのにも時間はかからなかった。

 所属事務所のプロダクション人力舎にとって、ラバーガールは“最後のエース”だった時期がある。

 ごく最近まで、人力舎の売れっ子といえば、92年のスクールJCA開校から5年以内に在籍した芸人に限られていた。00年代前半にブレークしたアンジャッシュ、アンタッチャブル、ドランクドラゴン、それに、同時期にスクール外から所属したおぎやはぎらの活躍によって事務所を東高円寺の雑居ビルから西新宿の副都心エリアに移転するも、その後は新人の発掘に難儀。キングオブコメディやリンゴスター、巨匠といったコント師を『キングオブコント』決勝に送り出すも、ことごとく解散していくという時期もあった。その間、桜塚やっくん(故人)、三四郎、うしろシティの阿諏訪泰義などの元スクール生が他事務所で次々にブレークしていく。人力舎自前のテレビスター誕生は、20年代のザ・マミィ、岡野陽一、吉住、真空ジェシカといった新世代組の出現を待たなければならなかった。