それまで川島が主導してきたコンビバランスは完全に逆転し、田村のバーターで川島もついでにテレビに呼ばれるという時期が続く。この時期、川島にはピンマイクがつかない(発言権がない)番組も数多くあったという。このころの心境を川島は後にこう明かしている。20年12月、ラジオ『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)に出演したときの話だ。
「だから初めてですね。『売れよう』と思ったのは。それまでは『M-1』もあって、面白かったら売れるんやろう、売れるのは後からついてくることだっていう意識で頑張っていたんですけど。これは売れるためには売れなあかんなって思ったんですよ」
「売れるためには、売れなあかん──」
15年前、「売れる」ことを心に決めた男が、今日、日本でもっとも売れている男になった。「売れる」ことを決めれば、芸人は売れるわけではない。だが、川島が売れた理由のひとつに、あの日の決意があったことだけは間違いないだろう。
(文=新越谷ノリヲ)