この『M-1』を受けて、麒麟は関西を中心にブレーク。多くのバラエティ番組に出演することになるが、経験不足が露呈して迷走。漫才にも支障をきたすことになり、翌02年の『M-1』では準決勝で時間オーバーの強制終了を犯し、あえなく敗退している。
バラエティ出演もすっかり減った03年には『M-1』決勝に返り咲くものの、1番手・千鳥、2番手・麒麟、3番手・スピードワゴンが相次いでふるわず、川島自身が「伝説の3スベリ」と振り返る結果に。
だが、04~06年と連続で3組の最終ファイナルに進み、その評価を確かなものとする。その最終年の06年には田村が『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)で披露した貧乏話が評判を呼び、翌07年に田村は『ホームレス中学生』(ワニブックス)を出版。これが、麒麟というコンビの関係性を大きく変えることになる。
『ホームレス中学生』は200万部を超えるベストセラーになり、マンガ、映画、ドラマなど多方面に展開。田村には2億円を超える印税収入が舞い込み、一躍、時の人となっていく。