◆もはや、津野をやばい怖いと思う視聴者はいないだろう

海と水季と3人で歩くとき、手を差し出す津野に、海を真ん中にして手をつなぐ水季。「手は握れる」と言ったのに。「間に誰か入らないと繋がらない」と津野はここでしおしおっとなってしまう。

「けっこう粘ったんですけど」と同僚に愚痴るセリフに、一連のだらだらした現代口語演劇ふう会話は彼なりに水季を振り向かせようとがんばったのだと理解して、ますます彼がお気の毒になった。もはや、津野をやばい怖いと思う視聴者はいないだろう。彼がじっとりした態度で夏を敵視していた理由が痛いほどわかった。

図書館の休憩室でうたた寝する水季は、大学時代の夏との思い出の夢を見る。今回、目黒蓮もちょっとだけ出てくれてホッとした。夏へのおにぎりは海苔が巻かれていた。津野くんには海苔は巻かれていなかった。

目が覚めると、そこにいるのは津野である。聞かれてもいないのに水季は夏のことを話し、好きなバンドと元カレと、津野と元カレとが交錯する。似ているようでどこか違うそれら。手を繋がない、手が届かない。ほんの少しだけの言葉の違いで、意味が大きく変わっていく。つまり、津野は、そのほんのちょっと違う人なのだろう。

◆水季の全人生における『恋のおしまい』でもあった

『恋のおしまい』は津野との恋のおしまいであり、水季の全人生における『恋のおしまい』でもあった。

(画像:『海のはじまり』TVer配信ページより)
(画像:『海のはじまり』TVer配信ページより)
もう恋愛とかの楽しいことはおしまい、十分楽しかった、余った分だけで余生を生きると、妙に達観している水季はこのとき、自分の余命がわかっていたのだろうか。若いのに、なぜ、こんなふうに諦めてしまっているのか。〈誰の人生だ 誰の人生だ〉とback numberの少しかすれたボーカルが心を逆撫でる。