けれども、気になるのは、夫婦別姓や同性婚について自らの意見を明らかにしないことや、コメンテーターという仕事に張り合いが持てなくなったことを、政策遂行という実務の難しさと意義深さの話にすりかえていることです。

 そして、その困難さと崇高(すうこう)さを担保してくれるのが政権政党たる自民党である、という裏付けにもなっている。

 二つの異なる次元の話を用いて、質問に答えることを周到に回避しているのですね。

◆“政治家たるもの”を客観的に語り、変節したことを正当化する論法

 そして、そのすりかえたことすらも、引きの視点のコメンテーター的な分析と、安全地帯からの客観性によって評論している姿勢が、激しい怒りを買っているのではないでしょうか。

“政治家・大空幸星”を分離させて自らの分析対象にすることで、変節したことを正当化する論法を編み出しているのですね。

 にもかかわらず、大空氏本人は狡猾(こうかつ)なロジックを駆使していることに無自覚なようです。なぜならば、それを「個人としてコメンテーター人生が嫌になった」という追い詰められたがゆえの告白という形で、自身の内面の問題として語っているからです。

 そのように、“人間・大空幸星"にとって切実であるとする言い回しで脚色をすることで、“自民党の政治家・大空幸星”を固く保護しているというわけです。この自己保身の姿勢は、放送中に批判にさらされた際にのこした「じゃあ、帰りましょうか」との捨てゼリフによくあらわれています。

 相手の追及からするりと身をかわす話法を瞬時に繰り出す賢さには感心するばかりですが、それは諸刃(もろは)の剣となるのではないだろうか? 余計なお世話ですかね。

◆信念ナシに弁舌の技術。森元首相や麻生氏以上の危うさ

(画像:大空 幸星おおぞら こうき公式サイトより)
(画像:大空 幸星おおぞら こうき公式サイトより)
 今回、社会活動家、コメンテーター、そして政治家、それぞれの面から大空氏の発言をおさらいして、変化のスムーズさに感心しました。