さらに、オマリーには大きな夢があった。一大娯楽産業を打ち立てたウォルト・ディズニーのように、野球とエンターテイメントの一体化をめざした。

 ニューヨーク市当局などとは、市内クイーンズへの移転を約10年に渡り交渉してきたが、オマリーが納得する移転先は見つからなかった。

 そこで目をつけたのが西海岸のロサンゼルスだった。ロサンゼルスは急成長の只中。土地も多く、資金調達もしやすかった。

 だが、既存の野球文化への「忠誠心」はなく、ニューヨークのチームが移転して市民に受け入れられるのかは、皆目見当もつかない。多くのファンを置き去りにする罪悪感もあった。

 それでもオマリーは決断し、57年5月28日のMLBオーナー会議で、大リーグ史上最も「革命的」といわれるチーム移転が了承された。

 過去の栄光にすがらずに新しい時代を切り開く「アメリカン・スピリッツ」がドジャースの今を支えている。

 ドジャースタジアムは美しい球場として野球ファンからの評判が高い。「男が彼女を連れて行きたくなるような場所」とオマリーが常に語っていた言葉が、現在も息づいている。

 日本経済は過去から抜け出せず「ゆでガエル」状態に陥っている。大谷の活躍に胸を躍らせるだけでなく、ドジャースの歴史から日本を振り返る機会にしてもいいかもしれない。