発足以来、現在までの各チームの成績は輝かしい。ヤンキースがリーグ優勝41回でワールドシリーズ制覇27回、ドジャースがリーグ優勝25回でワールドシリーズ制覇7回、ジャイアンツがリーグ優勝23回でワールドシリーズ制覇8回。いずれも大リーグを代表する名門チームだ。
特に1947~57年はニューヨークの「栄光の時代」といわれる。48年を除けば、この3チームのうちいずれかのチームがワールドシリーズに出場していた。「ニューヨークが全米の野球を支配していた」として語られる。
しかし、ドジャースとジャイアンツはその57年のシーズンを最後にニューヨークに別れを告げた。
ジャイアンツは「栄光の時代」でも2回リーグ優勝し、ワールドシリーズも1回制覇していたが、チームとしては全盛期を過ぎていた。04~24年にかけて、9回のリーグ優勝、3回のワールドシリーズ制覇を果たしたジャイアンツはニューヨーカーのせん望の的だったが、弱くなると市民の視線は冷たくなり観客動員数は大幅に減少した。
第2次世界大戦後の開発が進む中、本拠地をマンハッタンに持つジャイアンツにとっては球場の維持さえ容易ではなかった。経営難に陥り、抜本的な打開策を迫られ、ニューヨークからサンフランシスコに移転することを決めた。
一方でドジャースは絶頂の時を迎えていた。「栄光の時代」はリーグ優勝6回、うちワールドシリーズ制覇1回。47年には黒人初の大リーグプレイヤーであるジャッキー・ロビンソンがドジャースでデビューし、スポーツだけでなく社会全体に影響力を及ぼす存在となっていた。
球団経営も順調で、52~56年で黒字を達成したのはナショナルリーグではドジャースだけだった。
それでも球団オーナーのウォルター・オマリーは満足していなかった。自動車の普及に球場の環境がそぐわないことが、今後の球団経営に大きな問題を及ぼすだろうと考えていた。
ブルックリンは40年代まで縦横無尽に路面電車が走っていた。ドジャースのチーム名の由来も、路面電車を潜り抜けるように球場にやってくることを意味して「素早く身をかわす人」という意味の「Dodger」という単語にある。「エベッツ・フィールド」周辺も、今後の自動車時代に耐えられる状況にはなかった。