同社は自民党・細田博元氏や二階堂俊博氏など与野党問わず資金提供をしていたが、野田氏の場合は脱税事件が発覚した2011年6月当時、財務大臣を務めていた。記者会見で社長との関係を問われると、年に1~2回ほど会食していたことを明らかにし、これを認めた。
社長と最後に会った時期について「去年どこかでお会いしていることは間違いない」と述べたが、大臣就任後かどうかの明言を避けた。財務省といえば国税庁はその外局である。社長が国税当局の査察を受けたことは「報道で知った」と答えるにとどまった。
当時、新聞・テレビの疑惑報道は、これをもって尻切れトンボに終わっている。ところが、その後に捜査の内幕を週刊誌が報じ、「疑惑は封印された」と取り沙汰されたのだ。前出の検察ウオッチャーが続ける。
「『サンデー毎日』2012年10月28日号が『特捜検察が封印した野田首相のウラ献金捜査』と題し、ソフトウエア興業から野田氏の政党支部に計50万円の献金があったほかに、特捜部が押収した帳簿から金銭授受の記録が見つかった、と報じました。当時の野田氏は疑惑を完全否定していますし、特捜部の捜査が事実上打ち切られたのも記事に書いてある通り。疑惑は闇に葬られたわけですが、もしも再び首相の座に就くようなことになれば追及材料になる、とさっそく週刊誌メディアなどが動き始めています」
12年ぶりに政界の檜舞台に立ち、再び政権をうかがうところにまで距離を縮めてきた野田氏。だが、“前門の虎、後門の狼”のたとえのごとく、前途は多難かもしれない。