が、本気で心配している道長のせいで、敦康親王は彰子から引き離される。不憫である……。
◆伊周、死す。
道長の邪魔をすることに命をかけていた、と言っても過言ではない藤原伊周(三浦翔平)。衰弱した伊周は床に伏していた。その様子に先は長くない、と誰もが感じていた。
「父も、母も、妹もあっという間に死んだ」「奪われ尽くして、死ぬのか」と無念そうにつぶやく。
「俺が何をした」と言うが、もうそれは呪詛のせいでは? としか。
伊周の印象としては、ひたすら定子に皇子を産めと言っていたこと、呪詛をとなえていたこと、あとは島流しが嫌でダダをこねていたことが大きい。もしかすると「何をした」に対して「何も」と言ってしまうのもある種、正しいのか……。何かしたほうが、人は実は生き残る。何もせずに呪っていただけではそりゃあ何も得られない、と思ってしまう。
◆惟規が何をした
今回、もうひとり重要な人物が亡くなった。惟規だ。
惟規が従五位下に昇進、為時が越後守に任じられた春。揃って道長に挨拶に訪れる。
ここで、惟規は意外なことを言う。姉は気難しく、気持ちが通じにくいが、末永くよろしくお願いします、と。さすがに道長も、惟規に何か気づかれているということを察したようだ。
そして、賢子の裳着の儀式を行い、惟規は為時を越後へと送っていった。はずだった。道中で激しい腹痛を起こした惟規は、そのまま帰らぬ人となった。早すぎやしないか、それこそ惟規が何をしたというのか。
裳着の日の夜、まひろに「きっとみんなうまくいくよ」と言っていた惟規。
いまは賢子とまひろの仲は最悪だけど変わるよ、でも道長のまひろへの気持ちは変わらないよ。
なんだか良いことを予言するかのように笑顔で言った。
明るく、華があった惟規。どちらかというと陰キャが多いまひろの家の中で、惟規は真逆の照らす人だった。
そんな惟規が詠んだ辞世の句。