体調不良の三条天皇に対し、道長は非常に手厳しかったのですが、もともと血縁関係が薄かった居貞親王の天皇即位が決定すると、道長は次女・妍子を押し付け、中宮にさせています。三条天皇に四男二女をすでにもうけた最愛の妃・藤原娍子(朝倉あきさん)がいたにもかかわらずでした(天皇の強い意向で、娍子は皇后になった)。
妍子と三条天皇の長男・敦明親王(阿佐辰美さん)はなんと同い年です。そして妍子が天皇との間に授かった待望の子が、天皇になれない内親王(女児)だったとわかると、あからさまに不機嫌になるなど(藤原実資『小右記』)、なかなか不遜な態度を続けました。
ただこれについては、史実では病気で寝込むことが多く、人生の残り時間を考えていたはずの道長としては、自分の目が黒い間に権力基盤を盤石にしておきたい一念だったのかもしれません。
『大鏡』によると、三条天皇は妍子が産んだ禎子内親王に会うたびに豪華な贈り物をして非常に可愛がっていたのに、持病の眼病が治療の甲斐なく進む一方だったので「禎子の美しい髪を見られないのが残念だ」と涙を流したそうです。
天皇が服薬していたのは人体に有害な水銀を含む「金液丹」などで、飲むほどに健康を害したはずですから、悲しい逸話ですね。そんな天皇は、道長の父・藤原兼家(段田安則さん)にそっくりだったそうなのですが(天皇の外祖父が兼家)、それにもかかわらず、道長は一日も早く天皇を帝位から引きずり降ろそうと必死でした。
史実の妍子はそういう父親・道長と、夫・三条天皇の間で苦しむ人生を過ごしたのではないでしょうか。ドラマでは自由奔放に描かれ、義理の息子・敦明親王を、特別な眼差しで見つめさえしている妍子ですが、道長にも激怒した記録がある彰子に比べ、妍子が怒った記録はあまり見当たりません。史実の彼女はじっと我慢するだけのお姫様だったのかもしれませんね。
思えば、こういう人物の「影」を意図的に書かないのが『光る君へ』の特色ですが、それが優雅な平安時代らしい映像につながる一方、ドラマの展開が平板になっているという批判もあるでしょう。ドラマの惟規は「恋人にひどくいフラれ方だったので、都にはいたくない」などと言っていましたが、史実の惟規も中将の君(村上天皇・第10皇女の選子内親王に仕える女房)という女性と付き合っていたことがあります。興味深いのは、ブラコンだと囁かれる紫式部は弟の彼女=中将の君を辛辣な目で見ていたことです(『紫式部日記』)。紫式部はおそらく直接交流のない中将の君が書いた手紙を、弟を通じて見る機会があったからこそ批判もできたのでしょうが、亡き夫・宣孝(佐々木蔵之介さん)が紫式部の手紙を他の女性にも見せていたことを知って激怒した同じ女性の所業とは思えません。