というのも、小森さんには6歳上の姉がいました。父親の連れ子で、高校生のときに「じゃあ、あとはよろしく」と言い残して小森さんの前から姿を消した姉・愛生(尾野真千子)。その姉もまた、何にでも大量のマヨネーズをかける人なのでした。

 姉の子どもかもしれないし、どうやら虐待されてるし、小森さんはライオンを警察に届けるのはやめて、自宅で一緒に暮らすことにしました。みっくんとライオンも、ちょっと和解したしね。

 一方そのころ山梨県の片田舎では、橘さん(向井理)が妻と息子の捜索願を警察に届けていました。もう3日も家に帰っていないそうです。

 山奥の吊り橋で、その母子の靴だけが発見されます。その母子こそ、小森さんの姉の愛生とライオンなのでした。

 ASD、児童虐待、行方不明事件をめぐるサスペンスと、いろいろ大風呂敷をひろげて要素てんこ盛りで、多くの謎を残したまま、第2話へ。

■ASD×ミステリーの組み合わせ

 まずは小森さん、市役所の職員なのに虐待児に対する選択肢が「一緒に暮らす」か「警察に突き出す」しか出てこないのは行政で働く者としてどうしたものでしょう。子ども支援課のかわいこちゃんとも仲良しなんですから、児相につなぐという選択があってもいいと思うんですよね。でもそれは、まあドラマだししょうがない。警察の前まで行って、ライオンの手を引いてやっぱり連れて帰ることにした小森さんの動機はかなり弱いし、あんまり賢くない選択ですが、それはドラマの展開が要請したものですので、目をつぶりましょう。

 ひとつ心配なのが、今回、みっくんの発言のいくつか、例えば「どこを飛ぶかはウミネコの自由です。ウミネコだって違う景色見たいときだってあります」だとか「そのプライド(群れのこと)は安全ですか?」とか、ASDの人物の発言がまるで物事の真理を示唆しているかのような扱いをしているんですよね。天啓めいたもの、預言めいたものとして使われている。あの人たちはコミュニケーションや生活に難はあるけれど、実はすべてを見通す者である、あの人たちこそが真理を知る者である、というニュアンスが見えるわけです。