ドラマには天皇・中宮主催による朗読会という形での登場でしたが、『紫式部日記』にも、一条天皇が側近の女房に『源氏物語』を朗読させながら「この作者は『日本書紀』の講義をするべきだね。学識がおありだ」という感想を漏らしたことが書かれています。8世紀初頭に成立し、独特の和製漢文で書かれた『日本書紀』(ドラマには当時一般的だった『日本紀』の呼称で登場)は、平安時代にもなると「一般人の手には負えない難解な書物」という扱いでしたが、宮廷人の間では重視されていました。

 平安時代前期には、数十年に一度のスパンで、『日本書紀』の購読会――つまり「日本紀講筵」が宮中の公式行事として行われた記録があります。しかし、それも10世紀後半には廃れてしまいました。それから百数十年後の生きる「文学好き」の一条天皇としては、かつては一流の男性学者が担当していたという『日本書紀』の講義を紫式部にまかせてみようか……と思ったらしいのですが、それは残念ながら実現しませんでした。

 紫式部は天皇の思いつきをきっかけに「日本紀の御局」などというニックネームを与えられたことを『紫式部日記』ではひどく嫌がって見せています。「漢文は男にも難解だとされるものだから、女の私が『日本書紀』の講義などしたら、どんな悪口を言われるかわからない」というのが彼女の本音でしょうか。同性からは「でしゃばり女」と陰口を叩かれ、男性からは「とっつきにくいインテリ」という目で見られるのは嫌だ、というところでしょう。「認められたい」という気持ちは強くあるのですが、実際に自分に強いスポットライトが集まるのは避けたいという紫式部の矛盾する心の揺れには、いわゆる「陰キャ」独特の葛藤が見られて興味深いのです。

 そういう紫式部の葛藤とは無縁だったと思われるのが、彼女の娘の大弐三位こと賢子(梨里花さん)なのですね。前回のドラマでは実家に久しぶりに宿下がりした紫式部と、娘・賢子の反目が描かれました。まるで久しぶりに田舎の実家に戻った大学生のようで面白く拝見しました。