海外での初めての仕事は、ニューヨークでの雑誌撮影だった。雑誌『ヴォーグニッポン』に掲載された制服にルーズソックスという姿の写真がきっかけで、私は世界の舞台に出ていくことになる。

冨永 愛 新・幸福論
撮影 Yusuke Miyazaki
 といっても駆け出しのモデルだ。順風満帆とは言い難かった。

 海外で活躍するモデルたちは、基本的にファッション・ウィークをまわることになる。これはニューヨーク、ロンドン、パリ、ミラノというファッションの主要都市で行われるファッションショー(コレクション)のことで、いわゆる「パリコレ」もその一つだ。各都市をグルグルとまわりながらショーが開催されるので「コレクション・サーキット」とも呼ばれる。

 コレクションに出演するためには、各ブランドのオーディションであるキャスティングを受けなくてはいけない。キャスティングはショーの1~2週間前に行われるから、それまでに現地に飛ぶことになる。

◆ひとりぼっちでオーディションを受けてまわった

 私が初めてキャスティングに参加したのは17歳のときのニューヨーク・コレクションだ。あのときはもう、とにかく不安だった。

 エージェントがやってくれるのは、キャスティングのスケジュール調整だけ。「明日はここと、ここと、ここと、ここに行って」という指示が書かれたメモを渡されるが、誰もついてきてはくれない。ニューヨーク、ひとりぼっち。

 当時の私は英語力ゼロで、イエスとノーしか話せない。自動翻訳機なんてドラえもんの世界にしかなかった時代だ。話せないのはもちろん、聞き取れもしない。そんな状態で、たった一人で会場をいくつもまわってオーディションを受けるのだ。

 グーグルマップだって、もちろんない。ホテルで、前夜に紙の地図を広げて会場の場所を確認し、効率よくまわる方法を考えてから眠った。

◆負けない、負けるもんか

 多い日で1日に15カ所のキャスティングをまわる。だいたい、全部落ちる。翌日も受ける。また落ちる。ヒールの靴はバッグに入れてスニーカーで歩きまわっているのに、スニーカーさえボロボロになる。それでも、また落ちる。