◆深い海の底にひとりいるような孤独を見せる海
これまで、大人たちにあどけなさを振りまき愛されようとしてきた、やや小悪魔的だった海が、第11回では深い海の底にひとりいるような孤独を見せる。誰もいない家に、ひとり帰るのは、海にとって初体験。慣れない帰り道、登戸の南雲家の近辺よりもちょっと都会になった経堂の街並み、歩道橋の上にいる小さな小さな海。
帰っても誰もいない部屋にただいまを言っても水季の気配もない。これまで、肉体はもうなくても水季を感じていた海が、夏の部屋では水季を感じることが難しい。ベッドマットに触れ、ここにいた?と面影を探しても、このベッドに長く寝ていたのは弥生だと思うとやるせない。
ドラマではそこは触れていないが、この部屋には弥生の痕跡ばかりが濃厚だろうなと思う。海は弥生が好きだからいやではないだろうし、逆に、弥生をここから追い出してしまったのではないかという気持ちによけいになるのではないだろうか。余計なお世話だが、思い切って、新居に引っ越すべきだったのではないか。せめてマットは新しく買ったのだろうか。そんなことが気になってならない。
◆抱きしめた感触を得ることだけはできない
この回、夏を応援したいのだが、水季からもらったものある?と聞かれて夏が「別れたときに捨てた」と言うのは1点減点したい。弥生にもらったものを捨てたほうがいいかと海は気にしてしまうのだ。結果的にはブルーのイルカとピンクのイルカ、弥生の涙(怨念)が染み込んだイルカのパペット――3つのイルカに囲まれて暮らす。
水季の実態がない代わりに海はブルーのイルカをぎゅっと抱きしめる。朱音は水季が落書きした鍋をぎゅっと抱きしめる。肉体が消えても、思い出は残るものだし、その人の存在をいつでも思うことができるけれど、抱きしめた感触を得ることだけはできない。だから、代わりのものを抱きしめるしかない。