ひとりで図書館に行っていた海を迎えに行けば、津野(池松壮亮)に、いるとかいないではなく、いたとかいなくなったの話であり、水季が亡くなるとき「お前いなかったもんな」と「お前」と乱暴な口調で責められ、もう散々という感じであった。最終回はどうなってしまうのか。これがピークで最終回は最高の笑顔になってほしいものである。夏よ悟りを開け。
大切な人の不在とどう折り合うか、懸命に努力しているのが津野や海や朱音で、夏の場合は水季の死の実感がないと津野には思われている。ただ、夏の場合は学生のときに、水季をすでに一回失って、恋の喪失と折り合いをつけているので(肉体の死ではないとはいえ)、責められるのは酷だなと今度ばかりは、夏をかばいたい気持ちになった。
◆妊娠がわかったときの夏の対応に問題が…
そもそも水季が勝手に堕すことを決めたのだ。でも、たとえどんなに水季が勝手であろうと、あのとき夏は何がなんでも水季を説得し、考え直すことを促し、芽生えた命を共に生かす方法を考え、それでも産婦人科に行く水季に来なくていいと言われてもついていくべきだったと、海――あるいは全女性から責められているような状況に置かれている夏。
そんな~というのもあるとは思うが、それだけ命は大事なものなのである。命はすべて祝福されて然るべき。子どもには生まれてきてくれて嬉しいというポジティブな感情を常に示さなくてはいけないのだと思う。
子どもができたとき、夏が躊躇してしまったのは事実であり、そのためらいが「海、最初からいなければよかった?」と子どもを不安にさせてしまうのだ。海が家を出たことで穴が空いたようにさみしい気持ちになる朱音(大竹しのぶ)にも海は罪悪感を抱き、海のために身を引いた弥生(有村架純)にも罪悪感を抱く。
まだ幼い海が、四方八方の大人たちに気を使わないとならなくなっているのは、すべて、妊娠がわかったときの夏の対応に問題があったということなのだ。