この「ギャンブル」とはつまり、長い過程の延長である現在と一瞬の決断による組み合わせのことである。クランプが好きで好きでしようがない青年はその瞬間、好きのその先へ踏み込んだのだ。
◆テレビ・芸能史が動いた瞬間
筆者が以前、縁あって世界的バレエダンサー草刈民代と食事をしたとき、「もっと努力しなければ」という主旨の発言を耳にして驚いたことがある。世界中のカンパニーの大舞台を経験してきた草刈さんに「努力」の必要性を説かれてしまったら、いったい、ぼくらはその何倍必要なんだと。
単純にもっと上を目指す。好きを超越し、未踏の領域で日々鍛錬を続けるプロフェッショナルたちすべてに共通する感覚だろう。ダンスのジャンルは違えど、アメリカのストリートに根差すクランプの世界に魅せられ、日本の地で技を磨いてきた岩田もまた常に上を目指してきたプロフェッショナルのひとり。
LDHに所属するアーティストとして初めて24時間テレビの帯企画に出演する事実は、CL(LDHが独自の動画コンテンツを配信するサブスクリプション)のLIVE CASTで「これはほんとに大きなことなんです」と本人も感嘆まじりに言っていたように、日本のテレビ・芸能史が動いた瞬間に違いない。
でも当人ではないぼくらがいたずらに騒ぎ立てるのは野暮な話でもある。同番組に出演するまでの彼の努力、向上心、そしてその過程自体をバックストーリーとして確認しておかなければ今回の出演の真価は問えないと筆者は考えている。
◆そもそも絵を描く人として認識されたのはいつから?
三代目JSBのパフォーマー、俳優、ソロアーティストという主に3つの肩書き(本人は三足の草鞋と表現)を持つ岩田剛典が、そもそも絵を描く人として世の中ではっきり認識されるようになったのはいつからだったか?