不幸にも、水季のあてずっぽうはクリティカルヒットしました。夏くんの性格を知り尽くしている水季なので、夏くんが何の考えもなしにその無神経な手紙を「恋人」に読ませることも予見していたに違いありません。
この手紙は、「夏くんがパパになる決意を固めたら手渡してくれ」と水季が両親に託したものでした。順番としては、夏くんがパパになる決意を固める前に、弥生さんがママになる決意を固めているということはあり得ませんから、弥生さんがこの手紙を読むタイミングは「ママになるか、ならないか」という迷いの中にいるときしかありません。そして「自分が犠牲になるのが正解とは限りません。どちらを選択しても、それはあなたの幸せのためです。あなたの幸せを願っています」と書いてある。
「犠牲」とか「正解」とか、そういう二者択一の言葉でこの決断について考えろと強いてくる。
自分はプライベートとかお金とか美容院とか、すごくいろいろ犠牲を払って海ちゃんを育ててきて、でも結果としてそれが正解だと思っている。それ、水季さん、産む決意をしたときは考えてなかったよね? もっと本能に従って、衝動的に産んでるよね? それなのに、弥生さんには「犠牲」への覚悟と「正解」を選ぶ責任を押し付けてくるなんて、ちょっと乱暴にもほどがあるよね?
■「最初は面倒だと思った」じゃないんだよ
一方で夏くんも、もう「パパ」の呪縛にからめとられていますので、いつの間にか弥生さんを「ママになるか、別れるか」の存在としか見られなくなっています。「血縁」という呪いによる視野の狭窄です。
海ちゃんの存在について「最初は面倒だと思った」というセリフを自分の中で「絶対言ってはいけない本音」と定め、それを言うことで「ここまで自分をさらけ出してるんだから許してよ認めてよ助けてよ」とエクスキューズを求めてきます。
海ちゃんのことも弥生さんのことも守らなければいけないし、そうしたいはずなのに、何が書いてあるかわからない水季からの手紙を弥生さんに手渡してしまう。今後どう生きていくかという問題なのだから、今後を生きる人だけで決めればいいことなのに、死後の世界をおまえも覗けと弥生さんに迫る。海ちゃんを守ることと、水季の遺志を守ることは別の話なのに、その2つを同じものとして弥生さんと共有しようとする。要するに、単独の父親としての自覚も覚悟も、この人にはない。なぜなら、すでに魂を食われているから。