◆自分の店を持つのが夢だった
2024年のゴールデンウィーク最終日。村中心にある役場から5分ほど歩いた場所にある食堂「オオカミ印の里山ごはん」店内は、村内外から訪れる多くの客で賑わっていました。
この日提供していたのは「生姜焼き定食」「唐揚げ定食」などの定食数種類と週替わりのカレー、村で獲れたジビエを活用した「タバラーメン」など。いずれのメニューにも、村で獲れた旬の食材が活用されています。
キッチンで1人忙しく包丁を刻みながらも、客と談笑するのが店主の坂本さんです。2018年、神奈川県厚木市から丹波山村へ移住し、3年間「地域おこし協力隊」として活動したのち、2022年に店をオープンしました。
坂本さんが生まれ育ったのは厚木市内の上荻野地域。丹波山村同様、辺りを森林に囲まれた自然豊かな地区です。のどかな場所で生まれ育ったため田舎への憧れはなかったものの、「自分のお店を持ちたい」という願望は小さな頃から持っていたと坂本さんは話します。
坂本:「元々おばあちゃんが駄菓子屋さんをやっていたり、幼稚園時代に先生が紙で作ったハンバーガーをお客さんに振舞うという遊びがあって、すごく楽しかったんです。それで『お店屋さんをやりたい』という気持ちはずっとあったんですが、『自分にはできるわけがない、夢は夢だ』と思っていました」
小さな頃から目標を持ち、そこに向かって突き進む行動力を持っていた坂本さん。短期大学卒業後は、ワーキングホリデーのため、カナダへと渡ります。
坂本:「短大を出た2000年当時は、俗に言う就職氷河期だったんです。周囲の同級生が就活を頑張っている中、自分は『就職はしない』と決め、バイトに精を出していました。人とは違う道を常に選んでしまう、あまのじゃくな性格なんでしょうね」
最終的には就労ビザが習得できず、29歳で帰国。その後は、厚木市内の民間企業で電子計測器などのマニュアル翻訳に派遣社員として約11年関わりました。2008年、「リーマンショック」による世界同時不況が発生、その余波で社内では派遣社員が契約を切られる「派遣切り」が起こりますが、「坂本さんは残して」という声が一部であったほど、社内でも慕われる存在だったそうです。