結果、堀井さんのジェンダーについてこのドラマが何を語ったかというと、「男とか女とか以前にヤベーやつ」としておっさんを描き、「実はヤベーんじゃなくて、優しさだったんだ」という「いい話」に落とし込みました。人にはそれぞれ事情があるという個人の問題に帰結し、一面的に性差の問題としてとらえる危険性を訴えてる。メッセージとしてはそんなところでしょう。お話としてはおもしろかったし、私個人としてはドラマというメディアに「おもしろい」以上のものは求めていませんが、少なくとも「ジェンダーアイデンティティ」という言葉を誤用した“雑さ”のイメージを払拭するものではなかったと思います。

 それと、暴言を繰り返した亡夫のDVを「母親は好きだったから」という理由で正当化しちゃうのもモヤモヤする部分ではあるんだよな。ここでは、あの藤田弓子演じる母親が真正の「ドMちゃん」で男の言葉攻めにキュンキュンくるタイプだったのか、あるいは結婚後にその環境に順応するために暴言を受容しているうちに、いつしか感覚が麻痺してしまったDV被害者なのか、判断しかねるんですよね。別の話で家庭内DVについても語っていましたから、ここももうちょい丁寧にスキを潰すべきところじゃなかったかなと思うんです。母親と亡夫の出会いのエピソードとかで補完できるところなので。

(文=どらまっ子AKIちゃん)