多賀大社の参道を歩こう
多賀大社前駅を降り、左手を見ると、大きな鳥居が建っています。石造りの立派なもので、さすが大きな神社だなと思わされます。こちらから多賀大社の参道となっているので、散策してみましょう。
参道には、新旧のお店や民家が立ち並んでいます。絵馬通りと呼ばれており、昔から多くの参拝者で賑わっているそうです。現在では車で訪れる人が多いためか、筆者が訪れた際には、駅の近くは閑散としていました。休日やお正月、行事の際には、多くの人で賑わうのでしょう。
最初は、地元の人向けの日用品、洋服などのお店が多いですが、神社に近づくにつれて、カフェや食事の店といった観光客向けのものが多くなります。うなぎ料理を出す店などもあり、良い香りが漂っています。参道はきれいに整備されており、落ち着いた景観が心地よいです。
多賀大社の前まで来ると、飲食店、土産物店が立ち並んでいます。地酒や銘菓が店に並び、参拝者がお土産を選んでいる姿が見られます。多賀名物の和菓子「糸切餅」も販売しており、お茶とともにいただける店もあります。
こちらが参道の一番東側です。電車で来ると奥の方になりますが、国道に面しているので、車で来る方にとってはこちらが入口となるでしょう。
多賀大社境内を散策しよう
太閤橋
太閤橋(たいこうばし)は、多賀大社の正面鳥居をくぐった場所にある太鼓橋です。豊臣秀吉が、母の大政所(おおまんどころ)の病気平癒を祈り、米を奉納しましたが、それにより、この太閤橋と、後に紹介する奥書院庭園を築造したと伝わります。
この橋は、かなり急な傾斜となっています。筆者もゆっくりと慎重に登ってみましたが、少し怖く感じました。両脇には楽に通れる橋があるので、悪天候の際や、登るのが不安な方はやめた方が良いでしょう。橋の上に登ると、小さな川の流れが見えます。
御神門
太閤橋の前には、御神門があります。こちらが表門で、奥に手水舎や拝殿などの建物が配置されています。風格ある建築物は、多賀町の指定文化財となっています。
神馬舎
神馬舎は、神様がお乗りになる馬を繋いでおく建物です。神門をくぐって右手にあります。本物の馬を繋いでいる神社もわずかに存在しますが、木などで造られたものが多いです。こちらでも、実際のものと同じ大きさぐらいの木製の白馬が鎮座しています。
拝殿・本殿
神門をくぐるとすぐ、大きな社殿が見えます。拝殿や神楽殿が組み合わされた建築物で、多賀大社の代表的な景観となっています。
こちらが拝殿です。檜皮葺となっており、すぐ後ろの神楽殿からは、左右に回廊も延びています。神楽殿のさらに奥に幣殿、本殿があります。大社造の本殿は、正面からは屋根が少し見える程度となっています。
これらの社殿は、昭和の時代に建てられたものですが、樹木のある背後の景観に溶け込んでいます。もっと古いのではないかと思わされるほど、重厚で迫力ある建築となっています。
寿命石
平安時代に僧の重源(ちょうげん)は、東大寺の再建を命じられました。しかしすでにその頃高齢だったため、任務を果たそうと、多賀大社を参詣してお祈りしました。その結果、二十年の寿命を授かり、再興を成し遂げたそうです。
その由緒を伝える寿命石には、白い小石を納めて延命長寿を祈る人が多いです。小石は社務所で初穂料をおさめるといただけます。住所と氏名を書いて、寿命石の周辺に置いてください。
お多賀杓子
元正天皇(げんしょうてんのう)が病気の際、多賀と高宮を結ぶ旧街道にあるケヤキで杓子(しゃくし)を作り、食事をささげたところ、平癒したと伝わっています。この杓子は、お多賀杓子と呼ばれています。
多賀大社では、現在でも参拝者が杓子の形をした絵馬に願い事を書き、奉納しているほか、無病息災を願うお多賀杓子を授与しています。
奥書院庭園
拝殿西側、参集殿の奥にある庭園です。池泉鑑賞式の庭園は、書院から見下ろすようになっているのが珍しく、国の名勝にも指定されています。江戸時代中期に建てられた書院にある襖絵などを見学したり、秋の紅葉を鑑賞するのも良いでしょう。拝観料は300円です。
日向神社
境内の西の端にある神社です。現在は多賀大社の摂社となっていますが、かつては別の神社でした。西参道から入ってすぐの場所にある小ぢんまりとした神社で、家内安全、国家安泰のご利益があるとされています。
そば舎
境内の参集殿向かいに、お蕎麦や飲み物がいただける「そば舎」があります。無添加にこだわった出汁が自慢で、蕎麦、出汁ともに、こちらのお店で作っているそうです。延命長寿のご利益を授かることからその名が付いた「寿命そば」を味わってみてください。
お蕎麦のほかにも、甘酒やおはぎ、ぜんざいも用意されています。夏には冷やし甘酒、かき氷もあるので、参拝後の休憩などに利用してみてはいかがでしょうか。