◆許せないなら、許さなくていい

DVやモラハラの被害者にとって我慢ならないのが、加害者が許されてしまうことかもしれません。

加害者であるかつての毒親が変わって良い人になったら、今度は「許さない」思いを抱える被害者が「許さない側が悪者」みたいになってしまうのです。このくだりが実にリアルで、読んでいて胸がひりひりと痛みました。

被害者である子ども達は毒親から受けた傷を一生背負っていくのに、「許しましょう」というのは、本当に理不尽です。

本書に登場する奈月の父親も、「毒親」から「仏の鳥羽」といわれるまでに変貌を遂げました。奈月は、両親が離婚して面会交流があった頃の小学校卒業以来一度たりとも会っていない「どこにでもいる初老の普通のおじいさん」になった元毒親を、SNSで偶然見かけます。

憤怒の表情しか記憶にない毒親の父が、友人知人に囲まれて穏やかに笑っている、その写真を眺めながら、「毒親」が「普通のおじいさん」になるまでの人生を慮(おもんばか)るのです。

それでも、奈月は父を許しません。どこか遠くで、お互い知らない場所で、それぞれが幸せになればいい。痛みは、時間がたてば、もしかしたら少しずつ癒えるでしょう。でも、傷は永遠に消えないのです。

だから、被害者は加害者を、許さなくていい。加害者は被害者に、許してほしいなどと懇願してはいけないのです。その意思がすでに、被害者をコントロールすることなのだから。