天皇の陵墓の側に寺院が建立される習慣が定着していた時期で、そこで天皇の遺骨も管理され、天皇の冥福が祈られるようになります。要するに天皇のお墓=寺院という考え方ですね。

 ドラマの時代より、少し後の話ですが、後一条天皇の葬儀について詳しく記した『類従雑例』という書物によると、天皇の遺体を火葬にした場所に陀羅尼経を収めた石卒塔婆(石製の供養塔)などを建て、遺骨は浄土寺に運んで安置したとあります(長元9年=1036年、「五月十九日条」)。

 しかし、天皇の女御の葬儀としては、平安京の郊外で火葬した後、その土地に散骨しておしまいというケースが多かったようです。天皇の葬儀同様、貴族の葬儀においても、現代のように葬儀会社などのスタッフに任せられるわけではありません。あくまで貴族の身内が逝去時ケアから納棺、さらには郊外までお棺を運んで火葬し、その時の火の番などまですべてを行う必要がありました。貴族たちはそういう作法について日記に書いて、子孫たちに伝えようとしたものです。葬儀にまつわる作業を特別な僧が一括で請け負うようになったのは、平安時代末以降の話ですが、これが日本における葬儀会社の誕生といえるかもしれません。

 藤原公任の姉・遵子(のぶこ、ドラマでは中村静香さん)は、円融天皇の中宮(正室)という高い地位にあった女性でした。史実では彼女に先立たれた公任は、遺体を火葬にした後に散骨しようと思っているがよいだろうか、と藤原実資(ドラマでは秋山竜次さん)に相談しました。