当時の帝は比較的短期間(平均12年ほど)で譲位していくのですが、それはドラマで描かれたように政治闘争の結果である一方、有職故実(ゆうそくこじつ)のしきたりで縛られた生活を強いられるのが、それくらいの期間でも十分すぎるくらいに窮屈で大変だったからかもしれません。

 宮中のしきたりに縛られ、花山天皇は愛する忯子の死に顔を拝むこともできないままでした。当時の上流社会で「死のケガレ」はもっとも忌むべきものだったからです。特に天皇という、身分社会のピラミッドの頂点の存在が、自分の女御(妻)とはいえ下位者の死のケガレを受けることなどもってのほかでした。

 逆に天皇が亡くなると、最高位の貴族たちの手で、天皇のご遺体の沐浴(いわゆる逝去時ケア)、納棺などが行われました。前回のドラマでは、まひろの父・藤原為時(岸谷五朗さん)が、花山天皇から「足がだるい。さすってくれ」といわれたのを、帝のお身体には触れられないと固辞していましたが、あれは天皇の身体に直接触れられるのは最高位の貴族や天皇の“お相手”となった高位の女性だけというしきたりを思わせるシーンでした。

 そして天皇が亡くなった際、宮中を出た天皇のお棺はごく少数の者たちに付き従われ、行障(ぎょうしょう)と呼ばれる幕で通行人の視線から隠されながら、郊外を目指しました。

 当時の天皇を含む上流階級の葬儀は、ほとんどのケースで土葬ではなく、鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)、化野(あだしの)など平安京郊外の野辺において火葬にされました。