つまりは被害者を殺すために電撃ウィッチが水風呂の中に入らなければならなかったという、必然性がない。必然性がないところにトリックのキーを置いてしまうと、謎解きに爽快感がない。

 ミステリーの楽しさって、まずは謎が解かれたときに「納得感」という爽快があること、その上でトリックに人の感情が乗っていることだと思うんですよね。この人が、この殺し方を選んだことや、謎解きにつながるミスにその人の“ニン”が乗っていること。例えば『古畑』でいうところの、沢口靖子が部屋のドアを閉め切らなかった理由とか、そういうところでミステリーとしてはちょっと弱かったなぁというのが第1話の正直な感想でした。そういうところで勝負してないのはわかるけど、見る側は勝手に見るのでね。

 あと、これは『イップス』ではなく『スランプ』なのでは? という違和感もあったりなかったり。

 見方は甘くなっちゃうなぁと思っていたけど、そうでもなかったみたい。次回も楽しみです。

(文=どらまっ子AKIちゃん)