◆遠矢被告が吐露した胸中にみる、社会に根付く価値観

悩む女性
 6月11日名古屋地裁では、遠矢被告が法廷で「献立が立てられず、自分にはあまり教養がないと思うことなどがありこんな母親でいいのかという気持ちでした」と胸中を吐露しました。この言葉は、社会に深く根付く“ある価値観”を表すものだと杉山さんは語ります。

「児童虐待事件の報道では、加害者が『怪物のような恐ろしい親』として伝えられます。このように、あたかも“異常な個人”が諸悪の根源であるように描く理由のひとつは、報道というものの背景に『社会正義』があるからです。それはつまり社会が考える“正しさ”であり、多数派のための価値観のこと。

 しかしこれは必ずしも、女性や貧困家庭などの社会的弱者のための正義とはいえません。今回の事件で遠矢被告が法廷で語った言葉は、まさに『母親だったら子育てができて当たり前』というような、社会が思う母親像に自分がフィットできなかった生きづらさを表しています」

 社会的正義に適応できない生きづらさを抱えるのは、もちろん女性だけではありません。目黒女児虐待事件では、加害を行っていた父親自身が、幼少期に実父から暴力を受け、中学時代にはいじめのような体験をし、社会人になってからは不適応を起こしつつ働いていました。

「彼はわが子に“しつけ”と称してダイエットなどを強制し、約束が守られないと“反省文”を書かせていたなかで『俺のような思いをさせたくないから』と言っていたそうですが、その自己肯定感の低さは、彼のトラウマからくるものでしょう。

 報道では、彼がどれだけ異常で悪人かということが伝えられても、弱さについては触れられません。あくまでこれは私の考えですが、加害者の弱さについて報道が避けられる理由は、『我々も同じ状況に置かれれば、同じことをしうる』という可能性と向き合うことへの恐怖や忌避からではないでしょうか」