◆30歳を目前に、お笑いへ
ひとつ芸の肥やしのつもりだった社交ダンス。しかし、猪突猛進タイプだというキンタロー。さんは社交ダンスにのめりこんでいきます。
「私はこのまま社交ダンスで死んでいくんだわ、というぐらいハマっていたんですけど、とにかく全然うまくいかなくて。一番のきっかけは首のヘルニアでした。普通にしていただ、このままやめられないぐらい沼っていたんですけど、そのころ、つきあっていた人と結婚したかったんですよ。でも相手は公務員で全然つれなくて。
きっと私が社交ダンスの講師という不安定な職だから結婚しようって言いにくいんだわと思った、というのもありました。やめたらすぐに振りやがったんですけどね! あいつはダンス講師の女が恋人だというステータスだけで付き合っていたんですよ!(笑)」
無職になって、恋人に振られ、打ちひしがれて……そんなときに友人に声をかけられて、事務の仕事に就きます。そのときが「人生で一番規則正しい生活でした。健康になって、頭も人生で一番まともになった」のだそう。そして改めて自問自答したときに出た答えはお笑いがやりたいということでした。
「いろんなものが削がれていって、フッと座禅を組むような気分になったんですけど、私はチャレンジしないで死んでいくんですか、という自問自答がありました。
当時の私は、友人たちの結婚式の余興に全力をかけていたんですけど、ある日の余興のリハーサルで、私のお笑いを買ってくれていた先輩に『お前、まだこんなところにいたのか』って言われてハッとしたんです。それは『お前なんかとっくに上京してお笑いにチャレンジしていると思ってたよ』という言葉だと思ったので、即座にお笑いのオーディションを探して受けました」
そのときに松竹芸能のオーディションで特待生として合格。
「私の才能を買ってくれたんだわ、と思ったから全てを捨てて上京しました」