◆はじめは個人的な記録としてカメラを回していた

『私の家族』©TBS
『私の家族』©TBS
――娘さんとの初対面の日からカメラを回されていたと思いますが、その時から映像で発信していこうと思われていたのでしょうか?

久保田:そんなつもりは当初はありませんでした。あくまで個人的な記録として、毎日何かしらを撮って貯めていこうと思っていたんです。なぜならわたしたちは“当たり前の始まり”ではないから、何かひとつ積み重ねを可視化できるようにしたいなと思っていたんですよね。

目に見えるってすごく重要だと思っていて。たとえば何かあったとき「わたしたちどうして家族なの?」という話題になったときに記録を見返したい。1日目、2日目、3日目、4日目、毎日必ずその日にやったこと、どこにいたかなどを記録して、将来見て話せたらいいねと思っていたんです。映画には使っていないすごい量の映像と写真があります。

特別養子縁組をしたのは、アメリカで大学院を卒業して日本に戻ったばかりのころです。アメリカでは養子縁組が多く成立していて、オープンに話す空気感がありました。日本では成立件数も少ないし、オープンに話す人がまだまだ少ないのかなと思いました。

私はメディアに携わっていますし、特別養子縁組がどういう制度なのか、一例ではありますが自分の生活をオープンにすることで、特別養子縁組の理解が深まるきっかけになれたらと思いました。