◆「価値観をぶっ壊した先に何があるのか知りたくない?」
帰宅してから夫と話しあった。何が楽しいのかわからない、ふしだらなだけ、そこに愛はないと彼女は断言した。
「僕たちも人生経験を積んだから、価値観が凝り固まってるよね。それをぶっ壊した先に何があるのか知りたくない? 夫はそう言ったんです。私は正しいことを言ってると思うと反論したら、正しいことが楽しいとは限らないよ、と」
今まで知らなかった世界を見たい、そこへ入っていきたいと思う僕がおかしいのかな、と夫は言った。
「誰に迷惑がかかるわけではない。脳内を柔軟にしたら別の世界を楽しめるかもしれないと夫に説得されました。それがコロナ前のこと。思い切って一歩踏み出そうとしたところにコロナ禍が起こって。だから2回ほどしかパーティには行っていないんです」
だから、自分が「あちら側の人」になれるかどうかはいまだにわからないと彼女は言う。
◆世間に黙って「あちら側」にどっぷり浸ってもいいのでは
住む世界が違う、というドラマ内の祥子の言葉は、少しでもああいった世界に足を踏み入れたことのある人間ならドキッとしたかもしれない。世間が偏見をもっているであろう世界が、自分にとって居心地のいい場所、自分の居場所だと思えることもある。だとしたら、世間に黙ってその場にどっぷり浸ってもいいのではないか。それを否定する権利は誰にもないはずだ。
<文/亀山早苗>
【亀山早苗】
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio