そんな正信は、「毎日たらふく飯を食い、己の妻と子を助けるために戦をする」家康(松本潤さん)のことを「大たわけ」と一喝します。「殿が……お前が民を楽にしてやれるのなら、だ~れも仏にすがらず済むんじゃ」「己のそれ(=領主として期待される仕事)をなさずして、民から救いの場を奪うとは何事じゃ」という正信の正論に、家康は言い返すこともできませんでした。
死を覚悟するも処刑されることはなく、岡崎からの追放という処分となった正信は、命だけは助けられたことへの礼のつもりなのか、戦で破壊された(本證)寺を元に戻すという空誓上人(市川右團次さん)との約束を体よく反故にするための口実に悩む家康に、「寺があった場所は元の元は野っ原なり。元の野っ原に戻~す!……でいかがかな」と驚きの提案をしていました。史実でも、停戦後に本證寺の建物は家康の命令で破壊され、更地にされてしまうわけですが、それが本多正信の提案だとするドラマの設定には恐れいりました。やはり『どうする家康』の正信は一筋縄ではいかない人物のようです。
戦で家族を殺され、連れ去られる少女を見て、少年時代の正信同様、心を痛めた方も多いでしょう。「地獄」だという声もネットにはありました。しかし戦国時代において、最大の戦利品は「人」なんですね。戦が長引いたり、疫病が流行ったり、飢饉が起きれば、農民たちの頭数は一気に減ってしまいます。労働力を失うと国力が削がれるため、「義」を掲げた上杉謙信のような武将ですら、戦のたびに敵領から人盗りを行い、最低限の人民を確保していたのです。今の世で例えるならば、野山に咲く花を取ってきて自分の庭に植え付けるように、人間を掠奪することが当時は横行していたわけで、戦国の世は実にハードな時代であったことがわかると思います。そのため、正信の幼なじみのような少女は実際には見知らぬ土地に連れて行かれ、一般的な農民より酷い扱いで働かされる農奴として強制労働に従事する日々が待っていたのではないかな……などと考えてしまいました。ドラマの彼女は、そういう生活が耐えられず、命からがら連行先から逃げ出し、遊女になるしかなかったのかもしれませんね。