『K.G.F』ポイント①
まるで約6時間の予告編!?

 プラシャーント・ニール監督の一番の特徴ともいえるのが、独特すぎる画面構成力。カット割りから音楽の使い方も含めて、全編が予告編のようになっている。つまり、約6時間の予告編を観ているようなのだ。

 長編監督デビュー作となった『Ugramm』(2014)でもその傾向はあったものの、そのスタイルは『K.G.F』でより確立されたといえる。

 主演のヤシュのカリスマ性も加わって、とにかく画的なおもしろさに溢れていて、どのシーンを切り取っても見映えが良く、静止画としても動画としても、何度も観たいと思わせる魅力に溢れている。

 約6時間もあるのは、プラシャーントの描きたかったことと、その情報量が膨大だからだ。ドラマの1シーズン(全24話)にしてもちょうどよいぐらいの内容に思えるくらいのボリューム感だ。実際、主人公ロッキーの断片的にしか描かれていない子ども時代や空白の3年間など、まだまだドラマとして描ける要素はかなり残っている。『K.G.F:Chapter 3』についてもぜひ、進めてもらいたいところである。

 ところで『K.G.F』以降の作品、特にアクション映画においては、予告編のような演出を多用した作品が増えてきている。

 たとえば、今作にプレイバックシンガー(インド映画業界で俳優たちの代わりに歌を歌っている職業歌手のこと)として参加しているアディティ・サーガル主演のバイオレンス・アクション映画『ヴェーダ』(2022)も、同じようなスタイルの作品だった。

 ただでさえカット割りが多いというのに、時代が飛んだり戻ったりを繰り返すため、目がチカチカするという人もいるかもしれないし、逆にそれがジェットコースター的でいいとか、斬新だとか思う人もいるだろう。今作は、観る人によって好き嫌いが大きく分かれる作品であるのだが、何度も言うように画作りのセンスに関しては、誰もが認めざる得ないはずだ。