うまい設定だと思ったのは、紫式部と藤原道長があくまで幼なじみで、ソウルメイトにはなるけれども、恋仲には発展しなさそうという部分です。室町時代初期に成立した系図集『尊卑分脈』では紫式部は道長の「妾」とされていますが、その具体的な史実的根拠はほとんどありませんから。『光る君へ』は、紫式部と道長がお互いを「推し」として認識するドラマになりそうですね。道長は紫式部の文学者としての才能を、紫式部は道長の政治家としての才能をお互いに応援し合うという意味です。

 また、道長がどのように変貌していき、紫式部がそれをどのように応援していくのかが、ドラマの中核部分になるのではないでしょうか。ドラマの登場人物紹介によると、少年時代の道長(三郎)は、「兄の道隆、道兼の陰で目立たず、のんびり屋な性格」という設定になるとのことですが、そんな道長が、権力闘争を勝ち抜き、わが手を血で汚すようなこともたくさんして、最終的に「この世をばわが世とぞ思う……」という歌を宴で詠み、勝利宣言するようになるのですから、『どうする家康』の家康や、『鎌倉殿の13人』の北条義時に勝るとも劣らない、すごい変貌劇になるはずです。

 この手の主人公のダークヒーロー化は近年の大河になぜか多い印象ですが、『鎌倉殿』は貴重な例外としても、あまり大河のメイン視聴者層に好まれる要素ではないように感じています。個人的には大好きだったものの世評が振るわなかった『平清盛』は、特に清盛が打倒されるべき悪役に変貌し、共感しにくくなった後半部分で、視聴者の気持ちが離れていってしまったのではないかと思っています。しかし、『光る君へ』の道長はあくまで副主人公的な立ち位置に過ぎず、ヒロインの紫式部は彼を見守る「だけ」ですから、ダークヒーロー化の「ケガレ」を受けずに済みます。巧妙な設定ともいえるかもしれません。