このドラマで扱われたさまざまな令和の問題。ハラスメントやジェンダー差別、同性婚、インティマシーコーディネイター、それらはつまり、最終回におけるこのターンテーブルなんです。本来、どんなレコードを乗せてどう回すかが大事なはずなのに、ご立派な見ためで登場しただけで、すぐに単なる背景と化す。呆けた顔で、ちょっとその問題を触ってるだけ。現代っぽいお題目だけ見せておけば、中身はなくても視聴者は踊ると思ってる。実際、けっこうみんな踊ってる。ネットニュースの見出しには、週を追うごとに『ふてほど』の文字が踊ってる。

 ターンテーブルがあって松永がいたら、回せよ、本気出せよって思うんです。

 それと同様に、クドカンがいて震災というモチーフを取り扱うなら、語れよ、本気出せよって思うんだよ。

 1995年に取り残されてるのは私のほうですかね。バズることが目的のドラマに、震災死ってこんなに軽々しく使っていいものになったんですかね。もうそこまで風化したんですかね。それがアップデートなんですかね。

 そんな感じです。ありがとうございました。

(文=どらまっ子AKIちゃん)