「人生の終わりを意識し始めれば、必ず『死』の恐怖が付きまとう。光永師も『千日回峰行を満行したからといって、死の恐怖を克服できるわけではありません』と語る。
「『自らの死を悟っておられるか』とのお尋ねには、『いつ死ぬのかは分かりません。明日、寿命が尽きたとしても後悔のないよう、今日を生きております』とお答えしています。(中略)日々の生活の質(クリティ・オブ・ライフ)をほどよく維持し続けることこそが、死の想念に囚われない秘訣かもしれません」
この年になると、死を考えない日はない。大阿闍梨でも死の恐怖があるという。私のような凡人は恐れて当然なのだ。
といっても、死の恐怖がなくなるわけではないが、まあ、日々是好日。そのうちボケて分からなくなる。それが人生だ。