仲違いしていたコンダクターの父とバイオリニストの娘がいて、2人とも音楽を奏でることから離れている。そういう配置が最初にあったとすれば、ドラマの最後には2人が音楽への情熱を取り戻し、仲良しになり、父のタクトで娘がバイオリンを弾かなければならない。

 そんなドラマはちっとも革新的じゃないし、話題性だってない。第1話から、ネット上のメディアには「既視感しかない」「去年の日テレの『リバーサルオーケストラ』と同じ」「だから駄作」といった声が多く見られました。メディアはいつだってアバンギャルドやアナーキーを求めているし、ノスタルジックやメランコリックに飢えている。話題性こそがメディアのメシの種です。だから、この作品のような目新しい要素のない、旨味に尻尾を振らない作品を敵視することになる。

 一方で多くの視聴者にとって「ドラマを見る」という行為は生活でしかありません。生活は常に普遍的であり、生活の中にある悩みや人々の抱える澱(おり)なんて、たいていはベタなものです。そういう生活者と向き合い、実直に「回復」や「再生」の物語を描くことを、『さよならマエストロ』というドラマは選んだのだと思います。

 テレビ屋として番組を当てることより、ドラマ屋として物語を伝えることに知恵を絞り、労力を費やしている。日曜劇場というブランドを背負って、ドラマとはどうあるべきかというメッセージを力強く放ち続けていたと思います。