宇多田ヒカルさんの元旦那で2023年に映画監督の引退を発表した紀里谷和明さんはご存じでしょうか?離婚後、宇多田ヒカルさんは再婚しましたが、映画監督でお金持ち・加えてイケオジの紀里谷和明さんの再婚が気になるところです。
今回は、紀里谷和明さんのプロフィールや再婚について紹介します。また、宇多田ヒカルさんとの馴れ初めや離婚理由など、気になる情報をまとめたので、ぜひ最後までご覧ください。
紀里谷和明とは
初めに、紀里谷和明さんのプロフィールや経歴を紹介します。アーティストとしてピカイチの才能がある宇多田ヒカルさんを射止めた紀里谷和明さんも、芸術の才能に愛された映画監督でした。
紀里谷和明のプロフィール
氏名 | 紀里谷和明(きりやかずあき) |
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本名 | 岩下和裕(いわした かずひろ) |
生年月日 | 1968年4月20日(2023年9月時点: |
出身地 | 熊本県球磨郡あさぎり町(旧:免田町) |
最終学歴 | パーソンズ美術大学 環境デザイン科中退 |
事務所 | KIRIYA PICTURES |
ジャンル | 映画監督 |
紀里谷和明さんは熊本県出身の映画監督です。九州を拠点にパチンコ店を展開する岩下兄弟社代表の岩下博明さんと、軍人の娘である母親の間に生まれました。紀里谷和明さんは映画監督になった後に、父親が経営するパチンコ店の工事現場を見て、大勢をまとめる術を学んだと明かしています。
さらに、母親の父親が軍人で、太平洋戦争で自決したと子供の頃からリアルな戦争の過酷さを聞かされていたため、『CASSHERN』や『GOEMON』という世界平和作品を制作したようです。また、小説『トラとカラスと絢子の夢』は祖父の実話を基に描いた作品だと言及されています。
生粋の芸術家で才能ある紀里谷和明さんですが、バラエティ番組『しくじり先生』に講師として出演された際には、自身のことを「日本映画界から嫌われた男」と明かしていました。日本映画界よりも海外の撮影現場の方が、監督業がしやすいようです。
紀里谷和明の経歴
中学2年生で日本を離れ、単身で渡米した紀里谷和明さんは、Cambridge School of Weston(ケンブリッジ スクール オブ ウェストン)に進学し卒業すると、パーソンズ美術大学 環境デザイン科で建築について学びました。
しかし、大学2年生の時中退し、21歳でデザイン会社を設立するも失敗します。やるべきことも分からず迷走の5年間を過ごすと、1994年からニューヨークを拠点に写真家活動をスタートさせました。
ジェイ・Zなど有名アーティストの写真を撮るまでの写真家になり、この頃にモデルの冨永愛さんと出会い親交を深めたのです。また、日本海外でPV制作もするようになり、数多くのCM・広告・雑誌のディレクターを担当しました。
2004年になるとPV制作時代のスタッフを率いて映画監督デビューし、『CASSHERN』『GOEMON』『ラスト・ナイツ』『The Little Star』を生み出し、2023年4月に公開した『世界の終わりから』で映画監督の引退を発表したのです。