さて、SMAP再結成は難しいと思わせる象徴的なことがあったと文春が報じている。

 2月17日夜、世田谷区の斎場には多くの芸能人が訪れていたという。

 その日営まれていたのは、フジテレビの名物プロデューサーといわれた黒木彰一の通夜だった。2月13日に白血病のため54歳の若さで亡くなってしまった。

 黒木は入社後もなく、アシスタントディレクターとして、SMAPブレイクの企画となる『夢がMORI MORI』に参加。2003年頃から冠番組『SMAP×SMAP』の3代目プロデューサーに就任し、最終回は番組最高責任者のチーフプロデューサーだった。
彼の功績として語り継がれるのは、海外大物のアーティストを出演させたことだったという。

 グラミー賞のアフターパーティーでは、紋付き袴で名前を売り、3年かけてマドンナを口説いた。その後、マイケル・ジャクソン、スピーディー・ワンダー、レディー・ガガ、テイラー・スウィフトなどそうそうたるゲストが『SMAP×SMAP』に出ている。

 黒木の30年来の友人がこう証言している。

「黒木さんにはもしSMAPが再結成するなら、スマスマを復活させたいという熱い思いがあった。その日が来ることを信じて病気と闘っていました」

 亡くなる約1週間前の2月上旬、死期を悟った黒木はSMAPに会いたいと口にしたという。

 それに応えて中居、草薙、香取の3人は同じ時間に合わせて黒木の病室を訪問した。一人一人が病室に入り、黒木と最後の会話を交わしたという。仕事のあった稲垣は別の時間帯に行って面会したそうだ。

 ただ木村拓哉は、4人との接触を避けるかのように別の日に来たという。

「木村だけ別行動というのが今の5人の関係性をよく表しているのです」(黒木の友人)

 SMAP解散から7年余り。稲垣、草薙、香取の3人は17年にジャニーズ事務所を退所後、チーフマネージャーだった飯島三智が設立した「新しい地図」へ移り、再出発。中居は3人と独立を画策するも断念、2020年3月まで事務所に在籍した。

 背景には木村と中居との亀裂があるという。

「二人は解散後、共演はもちろん言葉を交わすこともありません。特に、中居の拒否反応が強く『あの時、木村が裏切らなかったらなぁ』と独立騒動についてぼやいていた。
 当時まだメリー喜多川副社長が絶大な力を持つ中、木村は強い者に“迎合した” と四人には映った。ジャニーさんの葬儀でも中居は木村と並んで集合写真に写るのを嫌がり欠席。木村も中居と距離を取ってきた。中居の退所会見日に稲垣、草薙、香取の3人は、すぐさま連名でエールを送った一方、木村がコメントを発表したのは、翌日の夕方でした」(フジ関係者)

 まあ、いいじゃないの。みんな立派な中年男たちなんだから、群れることはない。あと20年も経ったら「あのSMPAは今」という企画で、懐メロ番組『紅白歌合戦』に出たらいい。