しかし、現代日本において平安時代を代表する文学といえば、紫式部の『源氏物語』のような、いわゆる「仮名文学」や和歌が中心で、漢詩はそこまでではありません。ゆえに道長の文学的才能も見過ごされている部分もあるでしょうが、彼が生前得ていた漢詩人としての高評価には、道長が当時の最高権力者であったことが密接に関係していることも否定できないのです。

 道長の和歌を例にお話すると、当時のさまざまな勅撰和歌集には、道長が詠んだ総計43首の和歌が入選しており、自作を集めた和歌集、つまり私家集としては『御堂関白集』が存在しています。ただ、権力者をヨイショせねば……という「大人の事情」を省き、鎌倉時代初期に藤原定家に編纂された『小倉百人一首』には一首も選ばれていませんし、「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という道長本人は日記にも書き残さなかった悪ふざけのような歌しか、今日まで知られていないことを考えれば、道長の文才の客観的な評価は、やはり「文化的な一面もある政治家」程度に収まると考えてよいでしょう。

 ドラマでは「平安のF4」こと、藤原公任(町田啓太さん)たち3人との勉強会では存在感を発揮していない道長が、作文会でどのように振る舞うか楽しみですね。

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