──歴史エッセイスト・堀江宏樹が国民的番組・NHK「大河ドラマ」(など)に登場した人や事件をテーマに、ドラマと史実の交差点を探るべく自由勝手に考察していく! 前回はコチラ
前回(第4回)の『光る君へ』では、五節の舞姫を務めたまひろ(吉高由里子さん)が、三郎こと藤原道長(柄本佑さん)の素性を、偶然、知って卒倒するという場面で終わりました。それまでは三郎(道長)を平民だと信じて疑わないまひろが、自分は藤原為時(岸谷五朗さん)の娘ではあるが、「藤原でもずーっと格下。だから、気にしないで」などと言っていたのですが、真実はまひろの想像を大きく上回っていたようです。
史実の紫式部と道長は、どんな家系に生まれたのでしょうか。紫式部と道長は藤原氏の中でも「北家(ほっけ)」と呼ばれる、一派の出身です。そして、2人とも先祖を6代遡ると、藤原冬嗣(ふゆつぐ)という大政治家にたどり着くので、遠い親戚でした。
しかし、道長が藤原北家の嫡流、つまり本流の家筋に生まれ、時の右大臣・兼家の御曹司なのに対し、紫式部の場合、最後に出世栄達を遂げた記録がある親族は、曽祖父にあたる兼輔(かねすけ)でした。兼輔は元慶元年(877年)の生まれです。記録によると、21歳で昇殿、33歳で蔵人頭、43歳で左権中将にして、国司として肥前守も兼任したとあります。
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