◆アホを教育してやる笑いのカリスマというストーリー
<もう日本人はどうしようもなくアホですね。はっきり言って、1人の賢いやつが200人くらいのアホの面倒をみてるような状態ですよ。こればっかりはしようがないです。それでも、僕のやってる笑いもそうですけど、すぐにはわかってもらえなくても今やっておかないといけないことって、やっぱりあると思うんです。たとえれば宇宙旅行の実験みたいなもんで、スペースシャトルにしたって、この10年や20年でどうなるもんでもない。僕らが生きてる間に自由に宇宙旅行ができるようにはならないでしょうけど、孫やその孫のために税金を使ってやってる。>(『シネマ坊主』著・松本人志 日経BP社刊 p.16より)
つまり、松本は人を笑わせる動機において、明確に自分がいる場所の高みを意識していた。“バカどもを教育してやる”という設定で笑いの論法を鍛えてきたのですね。生まれながらのカリスマであるというストーリーを補強するためにお笑いをやってきたわけです。
実際、“天才の苦悩”を本気で吐露する発言もあります。数学の天才を描いた映画『π』(ダーレン・アロノフスキー監督)を観て、松本はこうこぼすのです。
<才能に秀でた者の壊れ方というか、ボクもああいう心境によくなりますから。アホのほうが楽やなあみたいなね。なまじっか頭よく生まれてしまうと、傷つくことも多いし、イライラすることも多い。アホはストレスたまらんし、ええと思いますよ。>(『シネマ坊主』p.46より)
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