◆「俺は人とは違うんや」殺害事件の犯人にシンパシーも

<やっぱりね、「俺は人とは違うんや」というのが、まずあるわけですよね。俺自体、人と違うのに、その俺を助けられる人間っていないと思うんですよ。>(p.134)

<お笑いタレントで努力してるヤツいますか。矢面に立ってるヤツ。>(p.24)

 他者とは違う、もっと言えば、他者から抜きん出た存在であるとの認識が、個性を持つことへの歪(ゆが)んだ傾倒にあらわれている点は見逃せません。

“自分はゴッホの生まれ変わりなのではないか”と語るところはご愛嬌としても、次の発言には違和感を覚える人も多いのではないでしょうか。

 神戸の小学生殺害事件の報道について、中継先でピースをして映り込むふつうの人たちよりも、犯人にシンパシーを抱く理由をこう語るのです。

<こんなこと言うとあかんかもしれへんけど、犯人の方がまだ好感もてますもん。いや好感もてる言うたらあかんな、あかんけども……、まだ自分もってるだけマシなんかなと思ってしまうんですよ。(中略)でも僕は、自分をもってないということを人以上に恥ずかしいことやと思う人間なんですよ。だから、自分を持っているということだけの物差しで言うと、彼の方が長いですよね。>(p.98)

 よく活字になったなと思うぐらい危うい発言です。これも、松本が論理の飛躍を自覚しているのではなく、むしろ自らに課したハードルが呪縛となり、本質を見誤っているのではないかと感じるのです。