◆プレイヤー兼ゲームメイカーとして唯一無二の存在に
そうして、松本さんに働いてほしい場所がたくさんできていたところから、松本さんが完全に独占状態になっていったという歴史があるわけです。
2009年に『IPPONグランプリ』がスタート。島田紳助さんが作った『M-1グランプリ』がいったん2010年に終了して、2015年に復活したわけですけど、そこで実質審査委員長的なポジションを務めているということは、松本人志さんが言ったことが若手芸人にとってのすべてになるという空間ができ始めたということです。
『キングオブコント』の審査員も2015年以降ずっとやっていくことになるわけですから、コントにせよ漫才にせよ、松本人志の脳を通らないと世に出られないという状況が、若手芸人の中では当たり前になっている。それ以降に芸人を目指した人にとっては、それはもう疑いようのないルールというか、法律みたいになっているということですよね。
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