◆島田紳助の引退で増した松本人志の需要

 松本さんが、1人のプレイヤーや、最先端でお笑いを開拓する開拓戦士というポジションじゃなくて、ゲームを俯瞰する王様になり始めた時期というのが、2011年の島田紳助さんの引退の本当に直前なんですよね。

 2009年に始まった『IPPONグランプリ』は企画自体松本さんが長年やってきた大喜利の形式だし、松本さんがプレイヤーではなくてチェアマンという形式で座ってますよね。『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)もそのちょっと前(2004年)から始まってますけど、あれも企画は松本さんだし、松本さんがゲームマスターのパーティーにみんなを招待したというポジションで座っています。

島田 紳助  松本 人志『松紳』ワニブックス
島田 紳助  松本 人志『松紳』ワニブックス
 島田紳助さんはゲームメーカーをやっていた人なんですけど、だんだん『ヘキサゴン』(フジテレビ)や『深イイ話』(日本テレビ)など、お涙ちょうだいという“素敵やんモード”に突入していって、ビジネスの人としてどんどん評価されていくようになりました。結果的に不祥事で退場したので、松本さんがお笑いのゲームメーカーとしてのポジションっていうのは2つの意味で空いていたんですよね。

 紳助さんが“素敵やんモード”に突入してだんだんお笑いじゃなくなると同時に、物理的にもいなくなってしまったんで、2つの意味でスポーンと空いたところでの松本さんの活動のしやすさは非常にあったと思います。