ビョルン・アンドレセンという俳優をご存知でしょうか。いまネットで「彼の若い頃が綺麗」、「美少年だ」と話題になっています。ここでは、そんな魅力溢れるビョルン・アンドレセンについて詳しくまとめてみました。
過去のビョルン・アンドレセン、そして現在のビョルン・アンドレセンのことをチェックして、彼の魅力を知ってみましょう。知れば知るほど、彼のことにもっと興味がわいてくるはずです。
ビョルン・アンドレセンとは
ビョルン・アンドレセンとは一体どのような人物なのでしょうか。ビョルン・アンドレセンの生い立ちやプロフィールをご紹介いたしますので、これまでの彼のことについて確認してみましょう。
ビョルン・アンドレセンのプロフィール
芸名 | ビョルンアンドレセン |
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本名 | ビョルン・ヨーハン・アンドレセン |
出身地 | スウェーデン・ストックホルム |
生年月日 | 1955年1月26日 |
職業 | 俳優、歌手など |
代表作品 | ベニスに死す |
活動期間 | 1970年~ |
ビョルン・アンドレセンの生い立ち
ビョルン・アンドレセンの母親はボヘミアンで、ヨーロッパ各地を転々として過ごしていたとの記録があります。ちなみに母親はビョルン・アンドレセンが10歳の頃に自殺をしてこの世を去っており、実の父親も分からないままだと言います。
その後ストックホルムで祖母に育てられたビョルン・アンドレセンは、音楽学校でクラシックを学びます。しかし彼自身が好きなのはロックで、13歳ごろからは自身でバンドを組んで活動していました。
それと同時に祖母のすすめで子役としての活動もスタートさせます。スクリーンデビューは1970年に公開された「純愛日記」で、日本では1971年公開、2008年には完全版としてタイトルを「スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー」と変更して公開されました。
そして彼の人生を変えた「ベニスに死す」という作品に出会います。バンド活動していたビョルン・アンドレセンに惚れこんだヴィスコンティの推薦もあって、多数の広報車の中からビョルン・アンドレセンが抜擢されることになります。
一躍スター、そしてアイドルになったビョルン・アンドレセンでしたが、人気者になったが故に感じる視線、そしてギャップに嫌気をさして、一時期はストックホルムから離れて暮らしだします。
死亡説が流れるものの1977年には見事復帰をしており、再び俳優生活をリスタートさせました。プライベートでは結婚をして娘と息子を授かっていますが、息子は亡くなっています。現在は音楽教師として、妻と息子と仲睦まじい生活を送っているということで、ファンとしても安心できるでしょう。