今回、物語は進展しませんでした。何をした回かというと、悪者にさらわれた女の子をニノちゃんが救い出すという一連のシークエンスを見せることで、なんとなくみんなが「ニノは犯人じゃないわ」と思い始めるという、つまりは「これからみんな、ニノが犯人じゃない前提で動き出します」というエクスキューズを得るための回となっています。

 見ている側からすれば、ニノが犯人だろうが犯人じゃなかろうが、どっちでもいいんです。人生は有限ですから、できれば1分1秒たりとも無駄にしたくなくて、それがドラマを見ている時間なのであれば1分1秒残らず楽しんでいたいんです。

 でもドラマはそれよりも、「ニノがいいやつだから犯人じゃなさそうだろ」というエクスキューズを優先してきます。雑な段取りで女の子を誘拐し、雑な段取りでニノが救出し、雑な段取りで女の子を家族や会社のもとに戻し、あとは俳優たちの顔面で「よかった」を演出します。これで納得しろと迫ります。ハマスタにドローン飛ばして、「どうだ大規模ロケだぜ」なんてドヤ顔してます。

 要するに、手段と目的が逆転してるんです。本末転倒なんです。面白いドラマであるために段取りがあるのではなく、段取りをこなすためにドラマを撮っている。ドラマの1分1秒に「人を楽しませたい」より重要な、課せられた義務のような、取らなければならない責任のような、そういうものが透けて見えてくる。どんどん視聴者とドラマが関係なくなっていく。