また同時に、澤部というタレントは好感度のプロでもある。『M-1グランプリ2009』(テレビ朝日系)で彗星のようにデビューしてから14年、澤部はバラエティのトップランナーであり続けている。14年にわたり、多くの国民に愛され続けているということだ。澤部自身も時おり、ラジオや取材で好感度への執念を明かしている。

 相方として、取材者として、世間として、コロコロとその姿を変えながら、澤部は岩井の話を聞いている。話が進めば進むほど、見えてくるのは岩井の誠意と、妻に対する深い愛情と、奥森皐月という女性の特異な魅力だ。番組が終盤にさしかかるころには、もう2人の結婚に疑念を抱く者はいなかっただろう。まだ何か言いたい人がいたら、それはもうしょうがない。話が通じないということだ。

 ところで、澤部と岩井は幼稚園からの幼馴染みである。相方でもなく、取材者でもなく、世間でもない親友としての澤部の言葉も、また時おり差し込まれた。

「岩井勇気を変える人間は、もう現れないと思ってた」

「なんかおまえ、人間として成長するなよ」

 30年以上の関係性がなければ、決して出てこない言葉。ファンやリスナーがいくら推し量ったところで、その奥底にある思いまでは決して理解できない言葉。そうした言葉を率直に発することができるのも、タレント以前、芸人以前の、澤部という人間の温かみなのだろう。

 澤部という人間の温かみなのだろう。などと原稿の文末に書かされてしまう程度に、私は澤部のタレントスキルに翻弄されている。毒されている。

(文=新越谷ノリヲ)