◆「多様性という言葉からもこぼれ落ちた人たち」からの宿題

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 岸善幸監督は稲垣吾郎に初めて会った時に、「啓喜はいわゆる大多数側の人です。もしかしたら、マジョリティーとして観客にいちばん近い感性かも知れません」「観客は、啓喜の感覚で観はじめるかもしれないけど、そのうち啓喜のほうがおかしいんじゃないかと見えてくる作品にしたいです」と話していたという(プレス向け資料のインタビューより)。

 前述した稲垣吾郎の演技から、まさにこの言葉通りの感覚を得られるだろう。そして、普通を至善とする稲垣吾郎と、彼以外の「普通ではない」ことを自覚しているキャラクターそれぞれの物語から、「普通っていったいなんなんだろう」と疑問を抱かせてくることがこの映画でもっとも重要だった。

 例えば、表向きは平凡な会社員に見える磯村勇斗は、冒頭のモノローグで「世界は明日死にたくない人を前提にして動いている」という、およそ普通ではない理論を語るので、ギョッとしてしまう人が多いだろう。

 しかも、彼はその理論が他の人には理解し得ない、自身が「大多数から認められる『多様性』という言葉の範疇からもこぼれ落ちている」ことを自覚している。