上司の評価と後輩から感じた時代の変化

『PRIME』より引用
(画像=『PRIME』より引用)

2人目の育休明けはラッキーでした。

良くも悪くも新規事業の部署に配属され、さらに私の独身時代の上司が部署責任者になったため、私の仕事ぶりを信頼し、経験を活かす裁量ある業務を与えてくれたのです。

また、新卒社員をたくさん配属させたので、部署全体の考え方がフレッシュ。10歳以上下の世代は「ママが働くこと」は当たり前だと思ってくれている世代。ワーママとは一緒に働く人の考え方ひとつでここまで人生が変わるのかと実感した出来事です。それまでの配属先は「休まないこと」や「残業ができること」を良しとする価値観だったのだと思います。

そんな環境で5年ほどは大変有難い働き方が叶っていました。昇給や出世コースからは外れたままでしたが、すでに会社に期待することをしていなかった私は、経験を活かしながら働けることと精神的な負担がないことが何よりも一番だったのです。

しかし、順風満帆な環境を得て、さらに子供たちの小学校生活が安定してきた30代ど真ん中の時に、私は40歳までの転職を決意します。

死ぬ思いでようやく手に入れた安定したワーママ生活をそんな年齢で手放そうと思い始めたのは、長女の子育てが残り半分に差し掛かった頃、そして次女の育児のための時短勤務終了時期が見えてきた頃でした。

40歳を目前に大手企業からドベンチャーへ転職を決意―自分の人生を全うするため

『PRIME』より引用
(画像=『PRIME』より引用)

独身時代は6時前に家を出て22時過ぎに退勤なんてザラ。土曜も祝日も出勤する年間休日93日の仕事詰めの日々。

そしてワーママになってからも旧制度のため子供が1歳になった時点で復帰、さらに次女が3歳になってからの数年間はフルタイム勤務を余儀なくされていました。(制度が変わり数年後にようやく小3までの時短制度取得が認められました。)

フルタイム時代は、子供の顔をじっくり眺めたり、成長をゆっくり感じた記憶も、ワンオペ育児の毎日をどうやってやりくりしていたかも記憶が全くないほど毎日がめまぐるしかった。

今、その子供の成長を目に心に留めておかなかったこと、仕事を理由におざなりにしてきたことを私は人生で一番後悔しています。

だから次女が小学生になり、自分も40歳が近づくにつれ、いつの頃からかこれからの時間は自分にとって意味のある仕事をすることに加え、子供や家族との時間、自分のやりたいこと、自分の人生の全てを大切にしたい、どれも諦めたくないと考えるようになっていました。

子供のふとした姿をきちんとこの目におさめたい。
家族や大切な人達と寄り添って生きていきたい。
私だけの大切な喜びや楽しみを存分に堪能したい。

子供が生まれてからの私は、日々、いや一分一秒追われるたくさんのことを理由にそれらをスルーして、時に諦めたりしてきました。

また、出産したことで受けた社会からの理不尽な扱いも、「環境のせいにするのではなく、仕事も含めて自分が納得できる生き方は自分で選択しなければならない」と私に決意させた大きな一因となりました。

子供の音読の宿題を、慈しむ気持ちで聞いてあげられたことはあるか?
病院で余生を静かに過ごす祖父のもとにもっと足繁く通えたのではないか?
私が本当は一番好きなことを、いつか子供が大きくなったらと後回しにしていないか?

「今ある当たり前の私の気持ちを、当たり前のように生きる理由と糧にしたい。」

自分の中のその気持ちに気付いた結果、自分の人生を大切にすることについて本気で考え始めるようになりました。

そして40を目前にその境地に立ち、自分の人生を振り返り、残り半分となった子育てや残りの人生を考えた時から、もう止まることはできませんでした。

まず一番に考えるべきは仕事。

仕事をしているとどうしても仕事が生活や人生の主軸になってしまいます。でも、私は働くことも大好きで、仕事という形で社会とつながることも、お金を稼ぐことも大きなやりがいに感じています。仕事が生活の基盤になるというのはこの先も変えられない。家族との時間も結局は仕事次第。

だからまずは仕事を見直すことを考えました。

正社員で子供の年齢に関わらず時短勤務を認めてくれる会社、かつ経験を能動的に活かせそうな会社を探し、ありがたいことに全てが叶う今の会社に出会ったのです。